●エッセイ1
はじめてのバリ旅行(1984年)

 

  1984年、初めてバリを訪れたのは僕が25才の時でした。バリ島なんて聞いたことはあったけれど、知っていたのは南の島というだけで、当時遊びのリーダー的存在だった友人に誘われるままついてきた、ただそれだけのことでした。それから15年以上、バリを訪れ続けることになろうなんて誰が想像したでしょうか。今はバリに家を持っている日本人も多くなりましたよね。「悲しい色やねん」の上田正樹や「ギャランドゥ」の西城英樹もそのひとり。テレビで紹介された彼らの豪邸とは比べものにはならないけれど、なんとなくバリと関わっていたいと思って建てた家、始めた仕事・・・。まぁ、そういう事は追々お話しするとして、バリでの出来事や、出会いなど、まずはバリとの出会いからお話ししましょう。

 

  学校を卒業し社会に出た初めての夏、友人の誘いで、なんとなくバリ島という南の島に遊びに行くことになりました。いま思い起こせば、どうして来てしまったのか自分でも分かりません。と言うのも、バリ行きを前に父が他界してしまったのです。出発日は2カ月後。ふつうなら取りやめにしているところでしようが、なぜか僕は無性に行きたくて、悲しみ癒えぬ母をひとり残し、自分勝手に参加してしまったのです。もちろん何かの力に引き寄せられただなんて思ってはいません。僕のわがままな性格がそうしたんだと思っています。とりあえず、49日は過ぎたからいいよね、なんて言う感じで出かけてしまったのでした。

 

  仕事は忙しく、徹夜続きの毎日で生活にも余裕はなかったし、バリ島がどんなところかなんてまったく知りませんでした。わかっていたことは、なんとなくイメージで憧れていた南の島なんだということぐらいなものでした。旅費の20万円もギリギリでした。当時パスポートの申請には、貯金通帳が必要でした。海外旅行するに十分な金額を持っていることが条件だったのです。通帳に記帳されたギリギリの金額に僕はハラハラ、ドキドキだったのを覚えています。エアーチケットもホテルも友人がすべて手配してくれたので、自分がやったのはパスポートの申請だけでしたから、それは今でも良く覚えているのです。

 

  僕の子供の頃は1ドル360円していました。憧れのハワイ航路が懐メロになっていても、海外はやっぱり夢のまた夢でした。日本航空の鶴のマークが入った青い肩掛け鞄は海外旅行の象徴でした。まさにブランドのバッグです。子供心に飛行機はお金持ちの乗りものと割り切っていました。そのうち鶴のマークの鞄は、農協ツアーの象徴のようになっていきました。円高が進み、格安ヨーロッパツアーなる言葉が出始めても、その当時、その瞬間にも、海外旅行はまだまだ僕には他人事だったのです。

 

 バリ島行きのエアーチケットは、格安航空券を旅行会社で手配してもらって、確か12〜3万円だったと思います。ガルーダ・インドネシア航空。当時成田発の直行便は、このエアラインだけでした。バリ島のデンパサール空港まで約7時間30分。初めての国際線、まずい機内食、乗務員はインドネシア人...。それだけで興奮しました。

 

  ホテルは、友人の知り合いが行ったときに予約しておいてくれたポピーズコテージという、バリの老舗ホテル。高級ではないけれど、とてもフレンドリーで清潔で、感じの良いホテル。全室コテージタイプで、料金がトリプルで1人2000円しなかったと思います。毎日レストランやパブやディスコで遊んでいたのに滞在費はほとんど掛からず、10日間で20万円という予算は十分すぎるほどでした。日本ではビンボー暮らしの僕たちには夢のような物価でした。

 

  その10日間、ほんとうにいろいろなことを経験しました。一緒に行った友人のバリ人の友達アグネス一家にバリ島内陸部の田舎の方まで案内してもらったり、バリで知り合った人たちとバイクでツーリングしたり、交通違反で警察に連行され高い罰金を支払わされたこともありました。初めてジェットスキーやパラセーリングもしました。どこか懐かしいバリの風景に感動もしました。一緒に行った友達のひとりが九死に一生を得たものすごいバイク事故を起こした時はさすがに気が動転しました。運び込まれた病院では、みんなが歓談している病室の真ん中で手術が始まったこと。頭と顔をギザギザに縫われたその友人を病室においたまま遊び回っていたこと。包帯ぐるぐる巻きの姿で飛行機に乗ったこと。成田に迎えに来たお母さんが空港のロビーで呆然と立ちつくしてしまったこと...。どれも思い出に残る印象的な出来事ばかりでした。でも、行って良かった。

 

  彼はバリに行った記憶さえあやしいけれど、そのことも含めていろいろなことを経験しました。バリに友人もできました。全部ひっくるめて僕の記憶にしっかりと刻まれたのです。しかしこの時点では、この後何回もバリに行くことになるなんて思ってもいませんでした。

 



▲次に進む

▲メニューに戻る