●エッセイ10
出稼ぎに来たバリ人の話・1
(黄金の国ジュパン)

■日本で働くバリ人の憂鬱〜冬になるとバリに帰りたくなる。

バリにいる時、バリの友人が突然ボクにすまなそうな顔つきで話し始めた。「実はボクの義弟が日本に行っているんだ。その弟は妹の夫で、日本に行ってからもうすぐ1年になる。2度目の冬は耐えられないから帰りたいって泣き言を言ってバリに帰りたがっている。妹はせっかく日本に行ったのだから最低でも2年は稼いできて欲しいと言っている。彼の母親が焼いたケーキを日本に持って帰って元気づけてやってくれないか...」と。

友人が手渡したメモには茨城県のとある住所が書かれていた。詳しい場所は言えない。なぜなら日本に働きに来ていると言っても、もちろん就労ビザなど取得しているはずもなく、いわゆる不法滞在(本人たちは不法入国ではなく、滞在が伸びただけだからそれほど罪は重くないと言っていたが...)していたわけで、彼らがお世話になっていた社長さんにもご迷惑がかかるからだ。

 

■日本人の甘い誘惑〜あんまり勝手なこと言わないで。

海外に行く話をバリ人にしてはならないと教わったのは15年以上も前のことである。バリ人はバリに生まれて、一歩も島の外に出ることがないから、というのがその理由である。貧困な生活におさらばして島を出たいと思っているのはやまやまである。しかし行きたくても行かれないのが現実。島を出られるとしたら、優秀な留学生になるか、海外公演をしているガムランの楽団員になるか、お金持ちになるか、外国人と結婚するかしかなかったのである。
80年代になってスハルト政権が観光政策を打ち出したこともあり、日本人客は増え始めたものの、インドネシア人の出国手続はかなり規制が厳しく、当時日本に来たことがあるバリ人なんて、ほんの数えるほどであった。

ところが、いまでは日本に行ったビーチボーイの話なんて、あちこちで耳にするようになった。バリに海外旅行に来たお金持ちの日本人(パブリーな時期でもあった)が、まずしいバリ人に同情心からか、「かわいそう。日本はいいよ。日本に来ればお金を稼げるよ。」なんて彼らの気持ちを刺激するだけ刺激して帰ってしまうから、残されたバリ人はたまったものじゃない。日本からは若者がたくさん来て、湯水のようにお金を使う。どうしたって日本に行って稼ぐ皮算用を始めてしまうのだ。中には自分がお金を出してまでバリ人を日本に連れて行く奇特な人も現れ始めた。日本を見せてやりたいという親心の人もいたようだし、いやらしい気持ちのおじさんも、おばさんもいた。ビーチボーイにのぼせあがったお姉さんもいる。玉の輿に乗る気持ちで、ビーチボーイたちはジャパニーズ・ドリームを夢見て日本人の女の子の軟派に今日もいそしんでいる。

 

■ラクに稼げる黄金の国・ジュパン〜1〜2年でバリに家が建つ。
「私がお金出してあげるから日本に行こう!」なんて、簡単に言わないで欲しい。バリの秩序を乱してしまっているのだ。ビーチボーイたちはとにかく日本人の女の子と友達になって、日本に連れていってもらうことを夢見ている。「マキコ、アユミ、ユリ...ボクの彼女は日本人!」というビーチボーイ、ヨノは、バリに店を持たせてくれる女の子を見つけたいと口癖のように言っている。その前に日本にも行って2〜3年働きたいと考えているようだ。「日本人は色白でかわいいし、簡単にSEXもできる。ボクはバリ人じゃないけどね。」とジャワ人の彼は笑って言った。

経験者の口コミやら紹介やらで、日本に行きさえすれば働き口もちゃんと用意されているようだ。彼らの間には、そういうシステムもできあがっているらしい。1年や2年日本で我慢すれば、バリで稼ぐ年収の10倍〜20倍は軽く稼げるのだから彼らも必死である。日本で2年ほど働けば、バリに家を建てるお金くらい稼げるし、うまくやれば、家と車と遊ぶお金を稼げる。途中でくじけても車を買う資金くらいは稼げるのだ。バリで中古のワンボックスを買えば、白タクのオーナーになれるのだ。

いつしかビーチのミチュアミお姉ちゃんの中にも、自分で稼いだお金で日本に行き、クラブで働いてきたという娘が現れた。「ニホンノチカテツ、ムズカシイネ」。湘南でミチュアミをやって来たという娘もいた。隣の家の若い男の子や女の子が日本へ行って、1年か2年で家を一軒買うお金を稼いでくるのだから、回りの人たちだってだまっちゃいられない。ウチのグータラ亭主をただ遊ばせて置いても仕方ないし、お隣りさんが羨ましくて仕方ない。「ちょうどうちの兄さんも日本人と友達だから招聘状を書いてもらって保証人になってもらおうよ。」ってことになる。友人の妹にさんざん頼まれたが丁重にお断りさせていただいた。こちらもバリでビジネスをしている以上、日本でもインドネシアでも、出入国管理事務所(イミグレーション)のブラックリストに載るわけにはいかないのである。しかし、この手の依頼は後を絶たない。

 

■バリからの出国〜お金もかかるし、時間もかかる。脱獄するより難しい!?
日本への入国は2ヶ月が限度である。まともに申請しても就労ビザなんておりるはずがないので、やむなく彼らは観光ビザで入国することになる。観光ビザと言っても、バリ人が日本に入国するのは並大抵のことではない。まず、パスポートの申請に、莫大な労力とお金がかかる。日本人の招聘書やら身元引き受け証明書、旅費分に相当する金額の入った貯金通帳、手続きを早く進める袖の下...。どういうことかわからないけれど、バリ人が空港を利用する時に支払う金額もRp.100万(1998年現在)を必要とするらしい。

そこまでやっと完了したのに、成田で帰らされてしまったという男がいる。ちょっとした手違いで、入国管理事務所の管理官の質問に答えられなかったため、身元引受人を呼ぶことになったのだが、その男はすでに何人も不法滞在の手引き(お手伝い?)をしていたのでブラックリストに載っていたらしい。それで迎えに来られなかったらしく、彼は日本の地を踏めぬままバリに帰らされてしまったのだ。バリ人が日本にやって来るとき、すべてを借金してくる。彼の借金は50万円くらいだったらしいが、日本で働くことが出来さえすれば簡単に返せる金額でも、バリで50万円を稼ぐのは、至難のワザ。彼は未だにその大金を返済し続けている。まるで懲役刑だ。

 

■仕事は当然3K〜汚い・きつい・危険...賃金はまあまあ。
彼らの働き口は、建設現場、旅館のボイラー、牛や豚の世話など多種多彩であるが、どれも過酷な肉体労働である。レストランなどでは正規に滞在する学生を使うことが多いし、給料も安い。少しでも早く稼いで帰りたい彼らにとっても、それでは困る。需要と供給の関係もあり、日本人が働くのを嫌がる3Kの職場で働くことになる。

友人の弟は豚舎で働いていた。1日8000円〜1万円くらいは稼いでいた。残業代も少しだがもらえる。部屋代は少し引かれていたが、大した金額ではない。食事も自炊だし、贅沢なモノもたべないから、かなりの金額を仕送りできる。その代わり健康保険には入れないから、病気になることだけは恐れていた。彼は友人とふたりで豚舎の敷地内の小屋で暮らしていた。働く環境は良くない。今どきこんなに汚い豚舎があるのかと思うくらいのところで、敷地内は豚の糞でドロドロだった。そこには車で見に行ったのだが、タイヤや下回りに付いたその糞の臭いは洗っても洗っても1ヶ月以上とれなかったほどである。

彼らが働いていた豚舎の社長は悪い人ではなかったが、バリのことを良く知らなかったせいもあって、彼らを田舎者扱いしていた。バカにされることが辛いと彼らはこぼした。バリ人はプライドが高い民族だ。

 

■2ヶ月以上の滞在は御法度〜だけど日本に来ちゃえばこっちのもの。
彼らは社長が休みをくれないことをボクにしきりに訴えた。ボクは社長さんに掛け合ってもいいけれど、彼らの仕事が無くなることを恐れた。しかも、給料もそれほど悪くなかったし、少しでも多く、早く稼いで帰りたい彼らには悪くない話にも思えた。社長にそれとなく聞いてみると、確かに豚の世話を休まれても困るけれど、休みの日にどこかにでかけられて警察に捕まるのがいちばん困るということだった。田舎町でインドネシア人が働いていたら目立たないわけがない。警察が来てちょっと職務質問すれば不法滞在だとすぐにバレてしまう。いや、本当はどんな外国人がどこで働いているか、おおまかにはわかっているのだという。その村や農家や企業で働き手が必要だと分かっているからあえて見て見ぬ振りをして取り締まらないだけのようである。だから、街で目立ってしまうと取り締まらぬわけにはいかなくなるそうだ。ボクが彼らに言えることは「良く考えてどうするか自分で決めなさい。」とそれだけだった。

▼つづく

 


 

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