●エッセイ11
バイク事故の思い出話・1

 

●とにかく生きてて良かった〜バイクで事故を起こした友達

始めて行ったバリ。確かまだバリに信号が1つしかなかった頃のお話です。ほんとうに1つだったのか定かではありませんが、バリの友達はボクにそう言いました。たった16〜17年ほど前のバリ島はそのくらい長閑な島だったのです。そんなのんびりとしたバリ島で、しかも楽しいはずの初めての旅行でバイク事故を起こしてしまった男がいました。それはボクの友人です。施設もおぼつかないバリの病院で顔面から頭部にかけて二十数針を縫う大手術を受け、滞在のほとんどを病院のVIPルームで過ごし、患者や看護婦たちに「痛いよ〜」という日本語まで流行らせました。その張本人はと言えばミイラ男のように包帯をぐるぐる巻きにされたまま、ボクたちの肩に支えられたままガルーダに乗り込み、やっとの思いで帰国。そんな生死を彷徨うような経験をしておきながらバリに行ったことすらはっきりとは覚えていないというのですから困ったものです。しかし、その責任の一端は、行動をともにしていた我々にもあります。開放的な南国での出来事とは言え、自分たちを戒める意味でも、バリでバイクを借りる人が事故を起こさないためにも、ぜひ書き留めておきたいと思いました。

 

●バリ島に信号は1つだけ!?〜17年前の交通事情

クタの街がワイキキのように変貌し、年がら年中車で渋滞する街になるなんて想像もつきませんでした。村人の移動手段と言えばベモ。自家用車なんていうものは相当なお金持ちか、空港やホテルの前に待機しているタクシーくらいなものでしたし、料金交渉のいらないメータータクシーなんてもちろんまだバリには導入されていませんでしたから、観光客はもっぱら白タクのワンボックスカーに乗るか、バイクにまたがって走るくらいのものでした。しかし唯一州都デンパサールの交差点だけは通勤時間になるとバイクであふれましたが、それでもそれはほんの一時。大通りでさえふだんは人通りの方が多かったくらいです。バイクのほとんどが100〜120ccクラスの小型バイクで、地元のバリ人が愛用していたカブのようなタイプか、観光客がバリバリと音を立てて駆っていたトレールタイプだけだったような気がします。今のようにハーレーなんて大型バイクに跨っている人は見たこともありません。唯一ボクの回りでは、当時シーブリーズのマネージャーであった、スリーピー・ニョマンの乗っていた200ccくらいのバイク(ブランド名は忘れてしまいましたがカワサキとの合弁によるインドネシア製バイクでした)くらいなもので、それはバリの中にあって目立って大きな存在でした。

 

●ポンコツでもホンダは高級品〜バリのバイク事情

クタのホテルに到着して、最初にしたことは足の確保でした。スタッフにバイクを借りたいというと、そのスタッフはなぜか自分の友達を呼んできて、ホテルの門の外に我々を呼び出しました。連れてこられたバリ人はやけにニコニコしている男で、自分のバイクを見せて「ソーデス、ワタシ、ホンダ」と変な日本語で話し始めるではありませんか。そのバイクのタンクにはでかでかとYAMAHAと書いてあるのにです。「おまえの名前はホンダか!」と彼らには分からないツッコミを入れながら、これはヤマハだと教えたのですが、「そう、ヤマハのホンダ」とわけのわからないことを言って自慢げに胸を張って見せるのです。「???」当然初バリの初日、こちらもまだバリには慣れていませんでしたから、バリ人たちがバイクのことをホンダと呼んでいるということは知りませんでした。メーカーは関係ありません。バリでいちばん有名なバイクが日本のホンダで、彼らはそのホンダを気に入っている。だからバイクのことを敬意を表してホンダというのだと説明していましたが、僕らがステップラーをホチキスと呼んでいるようなものでしょう。我々がレンタルしたバイクは中古バイクの王様のようなポンコツでした。それでもバイクはバリでは高級品。詳しい入手ルートは分かりませんが、日本から10年ものの中古のバイクを輸入して、ジャワでさらに10年以上乗りつぶしたモノをさらにバリに持ち込み、その後数年ビーチで使って錆びきらせたようなオンボロバイクでした。あくまでもイメージですが...。

 

●バリの免許は即日発行〜即日交付のバリ免許

このときは仕事のスケジュールで2つのグループに分かれ、それぞれ日程をずらしてバリに入りました。先にバリ入りしたボクたちは、女の子ひとりを含めた3人。そのうち男性陣は二人ともバイクの免許を持っていました。ボクは中型、友人は大型。もちろん借りたのは120ccのバイク2台ですが、どちらかの後部座席に女の子が代わる代わる乗って遊んでいました。「しかしひどいバイクだなぁ...」とは言ったもののそれほど気にもとめずに乗っていました。後から来た2人はカップルで、別にもう一台バイクを借りて合流しました。男の方は原付免許しか持っていません。しかし原チャリには乗り慣れていると言うし、バリでは警察に行って簡単な試験を受ければその場でもれなく免許がもらえるということを聞いていたので、制止するなどということはこれっぽっちも思いつかないまま、「うそ。いいじゃん、バリって便利だね。」などと、バリでの免許取得が当然のように思えてしまったのです。二人乗りのできない50ccと100cの違いの大きさに経験者のボクたちが気づいてあげるべきでした。彼は翌朝地元の人に連れていってもらい、昼過ぎにはバリ島だけで運転できるというその免許証を持って帰ってきました。聞くところによると、ペーパーテストの答えは一緒に行ってくれたバリ人が答えを教えてくれたし、実地試験は8の字走行という安易なモノだったらしいのです。そのことを聞いた時点でも、事故が起きることを予想すべきだったのかも知れません。20歳代も半ばにして誰もが浮かれ気分だったのでしょう。バイク初心者の彼が借りたバイクのブレーキが甘く、二人乗りをしたらブレーキが効かなくなるなんて気づいてあげられもしなかったのです。

 

●バリではバイクが足代わり〜快適ツーリング

バイク好きのもう一人のバリ人とも意気投合し、クタからメングイ、ウブドまでツーリングして回りました。まだバリではヘルメットをかぶらなければならないと言う規則はまだありませんでした。ノーヘルで走る南国の道は暑苦しい汗を吹き飛ばし、とても快適でした。時速は80キロくらいは出ていたでしょう。スピードメーターは壊れていて正確にはわかりませんでしたが、自分たちとしては無理なく気持ちいいスピードで走っていたつもりです。次の日は、クタから15分ほどのジンバランのビーチで、ビールを飲んだり、売りに来たパイナップルを食べて遊んでいました。さすがに最初はカップルの女の子を多少経験のあるボクたちが交代で乗せて走っていたものの、「せっかくバリまで来て一緒にツーリングできないのはかわいそうだね」などという、からかい半分の余計な提案に、二人で走らせてあげることにしたのです。彼の運転はと言えば、免許を取ったばかりだとは感じさせないほど安定した走りだったこともあり、それが当然の提案であるかのような錯覚を持ってしまったのです。ここでも誰も止めるものはいませんでした。クタに戻る途中、友人と女の子、私、その後にカップルという順でゆっくりとバイパスを走り、緩やかなカーブの交差点をクタに向かって左折。ここまで来ると、さすがに自分たちのテリトリーに戻ってきた気がするほど何度も通った慣れた道でした。この日はいつもより、ゆっくり走っていました。バックミラーには彼らの姿が映ってきません。ケンタッキーの入っているスーパーマーケットにバイクを寄せて、全員が揃うのを待つことにしました。

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