●エッセイ13
ガルンガン 2000

●ガルンガンの前日〜プナムパハン・ガルンガン

ゴン、ゴン、ゴン、ゴン...ガルンガンの数日前から一定のリズムで刻まれる、ゴン(銅鑼)とティンクリック(竹琴)の重なった音らしきものが聞こえ始めた。あの音は何かとホテルのスタッフに尋ねると、ガルンガンを知らせる音だと言う。ガルンガンとはバリの主要な儀礼のひとつで、日本の迎え盆にあたる祭日である。バリのカレンダーであるウク暦の一年、210日ごとに巡ってくる。今回は9月26日がそのガルンガン当日であった。10日後には送り盆らしきものがあり、それをクニンガンと言う。バリ人のご先祖様たちの霊はガルンガンの5日前にやって来て、クニンガンの5日前に天界に戻っていくと言われている。
確かにご先祖様が帰ってくるガルンガンは迎え盆なのだろうが、その様子は日本のお正月に似ているような気がした。ガルンガンの前日は、プナムパハン・ガルンガンと言い、村中がガルンガンの準備で大忙しとなる。クタに出稼ぎに来ているバリ人の多くが田舎に戻り、女たちは姉妹、親族、隣近所...お構いなく集まり、バレに腰掛けながらお供え物や食事の用意に明け暮れる。おしゃべりし、笑いながら、手も口も休むことはない。一方、男たちは豚を絞める。それだけである。何人か集まり、1頭の豚を丁寧に腑分けし、身も皮も内蔵も平等に分け合う。しかしこちらは無口である。豚の咽をかき切り、血を抜き取るところから始まって、からだじゅうに灰をこすりつけ、オイルをかけて毛を焼く。刃物できれいにこそげ落としてから腹に包丁を入れる。内蔵を取り出し、洗い、骨を外し、肉を刻む。この一連の作業は慣れたものであるのか、誰が何をするのか指示もないままそれぞれが自分の役割を見つけて黙々と作業を続ける。
豚はバビと言い、ハレの日のごちそうである。バビはバリ人の大好物。イスラムの国インドネシアでは、バリ・ヒンドゥ教徒であるバリ人だけに許された特権である。この日のために、蓄えたお金を一気に使う。
州都デンパサールに住むスノッブな若者やリッチなファミリーにとっては、ガルンガンはもう田舎の祭りにすぎないようだ。自分たちにはあまり関係ないという顔をし、仕事を休むこともなく、普段通りの生活を続ける者もいる。もちろんペンジョールやクボガンなど供え物の準備はせずに、新しい洋服や貴金属を買い漁る。数日前から連日、貴金属ショップは客で賑わう。デンパサールの大きなショッピングセンターは夜10時まで買い物客でごった返す。そしてガルンガン当日は家族じゅうで新しい洋服に身を包み、アクセサリーで飾り、田舎の母親の家や親戚の家を訪問する。要するに裕福であることを自慢しに行くのだが、訪問される方もそれがうれしいらしく、その不思議な儀礼は人間関係の中できちんと成り立っているのがおかしい。成功した自分の子供や親戚が来てくれたことを心から喜んでいるらしいのだが、結局のところは困ったときにお金が借りられるからだろう。いざという時、自分の思い通りにならなければ、こんどはバリ人特有の妬みや嫉みに変わるのに違いない。

●ガルンガン当日
ガルンガンの前後3日間は観光客相手の店や地元の商店は休むところが多く、24時間騒がしいクタの街もこの時ばかりは静けさを取り戻す。もちろんバリのお正月であるニュピ当日は、すべてが休業となるわけだから、これ以上の静けさなのだろうが、ホテルから一歩も外に出られないのだから、その様子は見ることはできない。
村の通りはどこもペンジョールというガルンガンの飾りが垂れ下がり、日本の七夕のような光景である。朝早くから村人たちは伝統衣裳に身を包み、頭の上にお供え物を載せてお寺に運び、お祈りをする。お参りが済むと、こんどは家のお寺にお供えをしてお祈りを捧げて、ご先祖様を家に迎える。昨日買った真新しい服に着替え、前日に準備をしておいた料理で、集まってくれた親族をもてなす。まるで日本の正月のようである。チャングービーチでワルンを経営するマンディラおじさんは、お祈りを早朝に済ませ、いつも通り店を開けていた。いつもと違うのは正装をしていることぐらいである。頭にウダンという布を巻き、耳もとに白いチュンパカを挿し、腰にはサロンを巻き付け、スレンダンを結んでいる。ガルンガンなのに休まなくて良いのかと尋ねると、ガルンガンだってサーファーは休まずに来るからねと笑って言った。波の音にかき消されるように、あのゴンとティンクリックを打ち鳴らす一定のリズムが聞こえている。

●マニス・ガルンガン
ガルンガンの最終日は、マニス・ガルンガンという。この日は家族揃ってでかける日である。タナロット寺院、キンタマーニ高原、ブドゥグルのブラタン湖、ブサキ寺院...車がなければ、どこか近くの景色の良いところまで散歩をする。つまり、リフレッシュ休暇なのである。内陸部の観光地はどこも観光客は減り、バリ人でいっぱいになる。みんな新しい服を着飾り、バラバラの生活をしている家族とも普段できない話をして楽しむ。それが、マニス・ガルンガンである。なぜ甘いガルンガンと言うのか尋ねてみたが、僕が聞いた人たちは誰も知らなかった。


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