●エッセイ11
バイク事故の思い出話・2

 

●頭から血を流した大事故〜バイク事故発生

カップルが乗ったバイクはなかなか姿を見せません。すぐ後を走っていたのだから、そんなに遅いわけはないのです。「ちょっと様子を見てくる」と友人が踵を返して今北方向に戻ると、すぐに引き返してきました。「大変だ、あいつら事故ったぞ!」ふだん冗談ばかり言うヤツなのに、その顔は真剣そのもの。その表情からはどうみても冗談ではないことはわかります。彼は事故現場に急いで戻り、ボクは事故現場を見ることなく、バリでお世話になってるシーブリーズのニョマンさんの店に急ぎました。下手な英語どころか言葉も出てこない状況に、さすがに異常事態を察したのでしょう。「アクシデント?」と急いで椅子から立ち上がると、急いで店を飛び出しました。事故現場に着くと、警官が一人現場検証をしていました。先に現場に急いだ友人は崖下にひっくり返ったバイクをじーっと見ているだけでした。後部座席に乗せていた女の子を付き添わせ、ボクたちを待っていたのです。ニョマンさんが警察官に彼らの向かった先を尋ねると、デンパサールの病院に向かったとのこと。とにかくその病院まで急ぐことにしました。友人の目撃証言によると彼らは頭から血を流し、救急車ではなくガラス屋さんのトラックに乗せられて走り去ったというのです。カップルの女友達のほうは彼を介抱していたというのでひとまず安心。しかし頭から血を流していた彼のことが心配です。

 

●談笑中の大部屋で手術!どーなってるの?〜バリの医療事情

大きな病院でしたが、彼がどこに運び込まれたかはすぐにわかりました。なぜなら、病院じゅうに日本語が響き渡っていたからです。「痛いよ〜」。日本語の分からないニョマンさんにも、さすがにその言葉の意味は分かったようです。彼は怖くなって病室の前まで来ると腰を抜かしてしまいました。私と友人が急いで病室に入ると、他の患者と看護婦が長閑に団らんをしていて、緊迫感はありません。大部屋です。こちらが唖然としていると、まん中の手術台のようなベッドに寝かされた友人の回りに医者と看護婦がいて、仲間の日本人だと気付いた医者が、「友達の手足を抑えろ!」と指示しました。友人は腕を、私は脚にしがみつくようにして、暴れる友人を押さえつけました。痛いよ〜、痛いよ〜と泣き叫び暴れる友人。医者は顔面に針を通していきます。その針は太く曲がっていて、畳を縫っているかのように一針一針ゆっくりと皮膚を縫いつけていきます。すると突然彼のチカラは絶え、身動きをしなくなりました。医者はペンライトで横たわった友人の瞳孔を確認します。まるで映画のワンシーンのようでした。「もうダメだ!」「うそだろ?」信じられない光景に、ボクの頭の中では、なぜか「バリの火葬場はどこだろう」と、そのことだけが頭の中で何度も何度も過ぎりました。しばらくして医者は「ノー・プロブレム」と一言だけいいました。彼はどうやら気絶したようです。麻酔も掛けずに顔面を何針も縫ったのですから、たまったものではありません。なのに、気絶しただけだと聞いた私達は、「なんだよ気絶かよ」「よかった」「ふざけるな!」と、みんなでワケもなく彼のカラダや脚を叩いていました。

 

●彼女は彼を踏んづけて助かった?〜ボクたちなりの現場検証

彼の付き添いもかねて病院で3泊4日。彼らの帰る日が明日に迫ってきました。しかしこのまま彼らだけを帰国させるわけには行きません。「航空会社に事情を言って日程を変えてもらえないかなあ。」格安航空券だから無理だろうと思いながらも、聞いてみることにしました。「チケット出して」と言って、何となくフライトスケジュールを確認すると、「これ、明日じゃないぜ。あと2日あるよ。」「じゃあボクたちと同じフライトじゃないか!しっかりしろよ!」「何やってんだおまえたち」とそれぞれが罵声を浴びせてはいたものの、内心は喜んでいました。不思議なことがあるものです。不思議と言えば、事故を起こしたバイクの後ろに同乗していた彼女は、奇跡的に助かりました。ふつうのバイク事故なら運転していたやつがこれほどの事故を起こしたのなら、後部座席に乗っていた人は死んでしまってもおかしくはありません。それが、顎と眉間に2〜3針縫っただけで終わったのは、不幸中の幸いでした。そこでボクたちは、ボクたちなりの検証と称して、仮説を立ててみたのです。もちろんこれは事故から少し経ったときに笑い話として発表したのですが。事故現場カーブはそれほどきつくはありませんでしたし、それほどのスピードも出ていなかったのですが、慣れない二人乗りとブレーキの甘さでふくらみすぎ、一段低くなった空き地に突っ込んでしまいました。そこには大きな瓦礫が積み上げられていたのです。そこまでは警察の。その時、彼女は危ない!と彼の背中を押し、その勢いで飛び上がりました。背中を押された彼は、そのまま瓦礫に突っ込みます。飛び上がった彼女は少し遅れて彼の上に落ちた。つまり彼をクッションにして助かった...それがボクたちの立てた仮説です。

 

●3年後...お世話になった人たちとの再開〜バリの法律を変えた男

怪我や病気がひどいとガルーダは乗せてくれません。隠しきれやしないけれど、包帯でぐるぐる巻きにされた顔を少しでも隠そうと、おみやげやで買った大きな帽子をかぶせ、両脇を支えるようにして歩き、なんとか入国審査を通り抜けました。スチュワーデスさんに頼んで3人掛けの椅子を一列使わせてもらい、どうにかこうにか成田に帰ってくることが出来ました。当時はまだバリはそれほど人気はなく、飛行機も満席ではなかったのです。成田には彼のお母さんが迎えに来ていました。ミイラ男のような変わり果てた息子の姿をしばらく呆然と見つめていました。

3年後、彼は一緒にバリには来なかったけれど、ボクは別の友達と再びバリに来ました。ニョマンさんの店に立ち寄り、その時のお礼を言うと、一緒にいたバリ人は「イタイヨ〜」とおどけて見せました。その言葉は彼らの仲間内で流行ったそうです。ヘルメットの装着も法律で義務づけられていました。もちろん彼一人の偉業(?)ではありません。当時から観光客のバイク事故が急増していたそうです。それにしても当時からヘルメットを自主的にかぶっていたヨーロピアンはすごいと思います。ちなみに彼の傷は見た目にはほとんどわからないくらいきれいに消えましたが、さすがにバリには二度と(?)行きたくないと言っております。

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